2011年8月12日金曜日

労働組合 (前編)


石渡です。

前回の執筆より、大分間隔が空いてしまいましたが、試験期間中であったということでご勘弁ください。夏休みの間は時間が許す限り、書くつもりです。

前回の原稿は、政府官庁の予算や政策、ブキャナンの主張、経済学における古典的論争など多少、難しい内容を混ぜてしまったかなと思ったのですが、一部のICUやUTのディベーターの子たちから「これぐらいがちょうどいいです」とか「もっと難しくて大丈夫です(てか院生なら当たり前だし、それぐらい書けよ)」という声や行間に隠された裏の声(ただの妄想です笑)を頂いたことを踏まえ、水準に関してはこの程度を維持していこうと思います。ICUとUTというサンプルバイアスがありそうですが、特に他から原稿内容に関してロビイスト活動がなかったので、あえて見逃します。

今回の原稿で論じるモーションは
That trade unions should have their power restricted during times of economic crisis.
です。

僕が参加した時のオーストラルで出たモーションです。確かサイドがガバで、大会参加前に何回か思考実験したモーションだったので、やりたいなと思っていました。しかし交渉の結果、違うモーションになり、あえなく負けました苦笑

そんなどうでもよい過去の話はさておき、労働組合の是非は昔から議論されてきました。古くだとマルクスおじさんがいた時とか、最近だと国鉄の民営化の時とか。おそらく、普遍的な対立軸があるのではないかと思います。

では、個別具体的に分析していきましょう。

モーションが出された時期が2009 年ということや経済危機という単語から推察するに、リーマンショック後に発生した問題を意識したモーションでしょう。その問題とは、うまくいかないGMの再建問題です。Economist とか海外のメディアかなんかで目にしたのですが、GM はリーマンショックの影響を受け、売り上げが落ち、破綻寸前でした。そこで政府は、うん兆円もの融資を決め、再建に乗り出しました。しかし、ご存じの通り再建は実らず、破綻してしまい、国有化されました。

*ちなみにGoverment に国有化されたので、Government Motors と揶揄されまいた(どうでもいいですねw)

ここで皆さんに考えてほしいことは、なぜGMだけ破綻したのかという点です。だって、トヨタだってあるいはクライスラーだって、リーマンショックの影響を受けてますしね。

その答えの一つにGMにおける労働組合の存在があります。労働組合を構成する労働者は、ショック前から経営陣に対して、高い要求をしてきました。具体的には、手厚い年金や医療保険の給付です。これらが大きな負担となって、破綻という結果になってしまったわけです。だから、経済危機とい
うあらゆるコスト削減が望まれる時期においては、経営者含め労働者にも痛みを共有してもらう状況をもたらすために、労働組合の力を制限しようというわけです。

*労働組合がなぜこのような要求を行えるかについては、皆さんご存じだとは思いますが、簡単に説明します。労働組合というのは、労働者が組織し、ある一定の目的をもって「足並みをそろえて」行動する団体です。例えば、この団体が経営者に対して、高い賃金を求めて、ストライキをしたとしましょう。
この時、利益を追求する経営者は、高い賃金を認めた時のコストとストライキによるコスト(例えば、そもそも製品が作れないとかブランドイメージが下がるとか)を比較して、次なる行動をします(賃上げor 無視して労働者が折れるのを待つ)こんなわけで、労働組合は実現するかもしれない賃上げを要求し、ときたま成功して労働組合が望む結果が得られるわけです。

*労働組合の力の制限というのは、これまたひどく抽象的な表現ですが、定義次第でしょう。考えられるのは賃上げの要求水準の天井を決めるとか年金給付期間の制限とかなんですかね。実際の世界では厳格なそれが求められそうですが、「採算が合うように調整する」とか「他の会社の平均的な水準に合わせる」とか言えば、ある程度、屁理屈みたいなディフィニションつつきは回避できるし、ジャッジの納得も得られるでしょう。

とまあ、こんな感じで問題とそれが起きるメカニズムが分かったと思います。

しかし、以前の僕のブログを読んで、頭がちょいと切れるディベーター・Asbest 君はこう考えると思います。「いやいや、賃金とか年金とかについて高い要求することで、破綻することなんて明らかなんだから、労働者は合理的に考えて、破綻して失職するリスクを嫌って、それに応じて、高い要求はし
ないでしょ。それに一時は高い要求をしても、経済が悪くなった時は多少、譲歩していくらかの高い要求は取り下げるでしょ」と。

まあ、良いところはついてきますが、丁寧に反論しましょう。まずは前者のところから。前回のところでも説明した通り、破綻するというリスクが今の労働者に降りかかるとは確実には言えません(前回の原稿と多少、似た議論です)し、さらにはGMとか大きな企業になると、「アメリカ経済ならびに世界経済への悪影響を鑑みて」ということで、政府の莫大な公的資金が期待できるでしょう。だから、将来世代において破たんリスクが増えることとか気にせずまた国民の税金が使われることと織り込んで、高い要求をするわけです。

次は後者のところ。労働者がフレキシブルに対応して、労働者の利益を調整するという主張です。結論から言うと、そこまでフレキシブルではありません。道徳っぽい話をすると、人間は一度吸った甘い汁は忘れられないですし、経済っぽい話をすると、住宅や自動車のローンをその時の高い給料
をもとに組んでいて、給料などの労働者の利益が下がることを極度に嫌うからです。

*経済学ではこういう賃金が下がりにくい性質のことを賃金の下方硬直性なんていう小難しい単語で表現しています。ちなみに、マンキューおじさんの教科書では、新古典派とケインジアンの違いは短期においてこの性質を認めるかどうかっていうことだそうです(軽くスルーしてください)
将来世代の破綻リスク及び国民の税負担を考慮しない労働者及び彼ら彼女らが構成する労働組合が不当に高い要求をして、経営を圧迫して、そのことが経営再建の足かせになっている(だから労働組合の力を制限しろ)というのがガバメントの議論でしょう。

では、次になぜ労働組合がなぜ必要かという話にうつりましょう。 (つづきます)

石渡慧一 
国際基督教大学卒業、東京大学公共政策大学院修士1年。2009年度ICUDS部長。Australs 2009 ESLブレイク、 All-Asian 2008 EFLブレイク(なお、この年の北東アジア参加者の中で1位)、NEAO 2009 EFL ブレイク、NEAO 2010 ジャッジブレイク

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